食べられることが価値だった時代に。
戦後の食糧難
HISTORY
武田青果の創業は1951(昭和26)年。創業者の武田良多が「青果の仲卸業」の道へと進んだのは、戦後の食糧難の時代と深く関わっています。青果市場がまだ配給制度だった時代に勝浦町のみかん農家から品物を買い付け、徳島市で販売したのが仕事の始まりでした。
幼少期には丁稚奉公として大阪の商店で働き、多くの兄弟を養ってきた武田は、その経験を活かして商売を拡大。当時の果物は絶対量が少なく、品物が確保できれば売れる時代だったと言います。
昭和33年には「徳島主婦の店」が徳島市中央通りにオープンし、青果販売の取り引きを開始。その後、同店は「キョーエイ」に改名し、県内最大手のスーパーに成長しました。先人たちが数十年にわたって築き上げた同店との信頼関係は、現在もしっかりと続いています。
私たちが今も昔も変わらず大切にしてきたことは、人とのつながり。「他人に認めてもらうことは難しいが、誰かに認めてもらうように努力することは容易である」という初代の教えを胸に、たくさんの方々に支えていただいた徳島に根を生やしながら、さらなる未来へと歩んでいます。
武田青果の
歴史ギャラリー
HISTORY GALLERY
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1945
第2次世界大戦 終結
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1951
(有)武田青果創業(代表 武田良多)
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1958
キョーエイ中央店開店に伴い、取引開始
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1972
徳島市中央卸売市場が業務開始。
それに伴い、「北沖洲4丁目 中央卸売市場
場内16番店舗」に移転 -
1978
南沖洲3丁目に袋詰め作業場建設
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1989
2代目社長 武田晴善 就任
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1993
南沖洲5丁目に袋詰め作業場 移転
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1995
年間取扱高19億円を記録
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20XX
3代目社長 武田輝久 就任
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2022
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